私が不登校になった理由
お久しぶりです。あろわなです。
今日は私がなぜ不登校になったかをかいていきたいと思います。
小学生の時の私は校則も守るし一年だけだったけど学級委員長もしたりと、どちらかといえば真面目な優等生タイプでした。
田舎の頭が悪い地域のただの公立の小学校なので大したことでは無いですが勉強も4年生ぐらいから頑張って6年生には学年トップクラスになりました。
別にいじめられてるわけでもないし、勉強ができないわけでもなかったのですがなぜか学校がめちゃくちゃ嫌いでした。(結構そういうかたいると思います)
学校から帰っても一日中、学校の文句を言ってるぐらい大っ嫌いでした。
なぜだろうと考えるとみんな一緒というあまりにも多様性のないところと自由じゃないところ、先生の綺麗事が嫌いだとわかりました。
冷静に考えると靴下の色も決められるし、自分のしたい髪型はできないし、自分の履きたい靴も履けない…今不登校になって冷静にみると某北の国みたいだなあって思いますw
ですが小学校の時はそう思いながらも毎日学校に行っていましたし、その時は学校の偏差値教育にガンガン染まっていた時期だったので中学校は県内で大学受験に特化している私立の中高一貫校に進学しました。
もしあのまま順調に行ってたら普通に日本の偏差値教育に染まりきって偏差値だけで決めた大学に進学していたと思います。
その時はもちろん不登校なんて考えていなかったです。
もっと勉強できると思い希望を胸に中学校に行ったのですが思ったより中学校が厳しく監獄のようで小学校の時よりも北の国感が増しました。
入学して1ヶ月くらいたつと学校に行く前になったらお腹が痛くなったり、熱がでたり鬱っぽくなったり体が拒絶反応を起こすようになりました。(当時はメンタルげき弱)
入学から2ヶ月で顔が死んだので何も言わない親が珍しくもうやめなと言って途中で退学しました。
私の行っていた中学校は3学期生なので1学期は7月までなので本当は7月までいかないといけないんですけど待てなかったので6月に退学しました。
次の中学校は2学期から行く予定だったので7月は不登校的なものをしておりました。
その1ヶ月間は一人でチャリンコで散歩したり図書館に行ったりと自分の好きなように時間を過ごしました。
周りから見れば無駄な時間だと思いますが、その時の私はすごく楽しくて自分に向き合える大切な時間だったので私にとってはとても充実した時間でした。
ですがその時もまだ不登校を考えているわけではなかったので2学期からか近所の公立の中学校に通うことになりました。
あの時の自分はまだ、県内で一番偏差値が高い高校に行こうかなあって思っていましたw
ですが、その転校先でもうまくいかず断念しました。結果的にそれで良かったのですが…
こう聞くと私に問題があるのではと思うかたもいると思うんですが、公立の中学校でも上手くいかなかった理由がしっかりとあって…
公立だったんですけど教育熱心なで転勤族の人が多めの地域でいわゆるめんどくさい地域でした。(転勤族の方々全員を批判するようなことではありません)
教育熱心な地域といえば聞こえはいいかもしれませんが、(クラスの9割が塾に行ってました)実際蓋を開けるといじめだらけで学級崩壊をしている感じでした。
きている子もストレスが溜まっているみたいでじめがすごかったです。
全てのクラスっていうわけではありませんが、結構な確率で学級崩壊してました。
授業中もみんな寝ているし席に座ってない子も居る状況でした。
でもみんな成績はよかったです。(悪い子ももちろんいるけど…)
塾に行って理解しているから学校の授業は聞かないっていう感じでした。
授業中は動物園状態で鬼ごっこをしている子もいれば、消しゴムで野球をしている子も居ると言った感じでした。
少ないですが、塾に行っていない子もいるので(私もその一人)『静かに座っとけよ』と内心思ってましたが、
先生がもちろん注意してくれると思ったら、先生も中一のがきんちょにびびって見て見ぬ振り
をし学級崩壊が進んでいくっていう感じでした。
こういうやる気のない先生がいっぱいいたからいじめも起きたのかなあと思いました。
いじめについては、私が転校した2学期から起きました。なんとなくはじまったみたいな感じでした。
いじめの内容は暴力(休み時間になったら複数人で囲んで蹴る、殴る)や本人の目の前で暴言を吐いたりすることです。
私が一番ショックだったのはそれを先生の前でしても先生が何も注意しないいことです。
それどころかそのいじめに加担している先生もいました。
当時の私は自信もなく弱かったのでかわいそうと思うだけで何もできませんでした。
いじめは絶対ダメといった道徳の授業をしたのですが、その授業の内容で聲の形(いじめ問題に対する映画)をみてどうすればいじめは起きなかったのかを考えて発表しようというワークをしました。
その授業ではいじめた本人も悪いけど見て見ぬ振りをしたクラス全員も悪いといった結論に至りました。
自分のクラスで起きたいじめは何の対処も施さない人がそんなことを言っていることに私すごく不信感を持ちました。
本音とたてまえがありすぎる学校に嫌気がさしました。
そういうことがあり一時期不登校になろうと考えたのですが、コロナで学校が休校になったのでそのまま2年生に進学しました。
クラスが変わって以前とは異なって学級崩壊もなく、いじめもないクラスになったのですが、全体的に友達と友達の関係に間があって、話も続かないし、誰かが話しても誰も話を聞かないみたいな感じでした。友達とある日一緒に帰ってたんですがその時に友達が『友達って所詮変えが聞くような存在やし…』と言われた時は流石にショックでした。
そのクラスでは友達なのにみんな敵みたいな感じで特に校則に対て某北の国のように厳しかったです。
ピンの形まで決められているんです。
私がパッちん式のヘアピンをしていたら『それいかんよ、今すぐ外して』と言われました。
先生にではなく生徒に言われてびっくりしました。
おかしいことなのにそれに違和感を感じてない友達ばっかりで言い方はすごく悪いですが、みんなロボットに見えて気持ち悪かったです。
なんでそんな意味のないおかしな校則があると聞いたら、校則だからと言われました。(完全に自分で思考することをやめちゃってますよね)
私はそんなところにノコノコと通ってていいのかあと思い2年生から自分のいきたくない時は休んで、行きたい時は行くという自分で思考し自分の意志を尊重するようにしました。
そうして2年生が終わったんですけど、春休みが終わって3年生に上がった初日の登校日に行きたくなくて休みました。
そうしてずるずる2週間くらい学校を休んでました。
半不登校みたいな状態です。
そのとき親から不登校になるのか学校行くのかどっちにするか早く決断しなさいと言われました。
当時の私には勇気のいる決断でした。
結局自分の意思を尊重し私は不登校になることを決めました。
当時の私からしたら大きな決断だったと思います。
不登校になる前は大きな壁だと思ってたけど、実際不登校になってみたらなんでもっと早くならなかったんだろうと思うほど充実した楽しい人生を送ることができました。
6月には何か新しいコミュニティーに入ってみたいなあと思いから一年生の時から入りたいなあと思っていたN中というところに入りました。(N中についてはまた詳しく記事に書きます)
N中に入って、新たの友達ができてすごく日々の生活が充実しました。
そこで私は一瞬悪いことが起きても自分から逃げずにしっかりと向き合ったら自分の望んでいたことが起きるということと毎日を楽しく生きることの大切さを学びました。
今不登校の学生や不登校の子供をお持ちの親御さんはで悩んでいる方もいる思います。
ですが、一番だいじなことは学校に行くことではなく、毎日を楽しく生きることだと思うので不登校になったこと悲観しないでいいと思います。
乱雑で長い文章ですが最後まで読んで下さった方ありがとうございました。
この記事を読んでこころが軽くなったというかたがいれば幸いです。
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